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長禅寺(ちょうぜんじ)は、山梨県甲府市にある臨済宗系の単立寺院。東光寺、能成寺、円光院、法泉寺とともに甲府五山のひとつ。 == 歴史 == 甲府市中央部に位置し、愛宕山の南麓に立地する。甲府には戦国期に甲斐国守護武田氏の創建した寺院が数多く分布し、長禅寺は居館である躑躅ヶ崎館(甲府市武田)を中心とする武田城下町の南端にあたる。近世には甲府城の東部にあたり、長禅寺前は郭外の武家地で、長禅寺参道は東流する藤川を経て長禅寺前の南北通りとなり、三ノ堀を隔てて魚町通りへ至る。享保9年(1724年)に甲斐一国が幕府直轄領化された後は長禅寺前に甲府代官所が設置され、長禅寺前陣屋と呼称された。 長禅寺の前身は甲斐西郡(甲府盆地西部)の国人領主である大井氏の領する巨摩郡相沢(現在の南アルプス市(旧中巨摩郡甲西町鮎沢)に建立された寺院(古長禅寺)で、大井氏の菩提寺であった。古長禅寺は真言宗寺院であったが1316年(正和5年)に甲斐国おいて臨済宗を布教させた夢窓疎石により改宗されたという。 戦国時代には大井氏の娘である大井夫人が国斐守護武田信虎の正室となり、晴信(信玄)らを出産する。大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も館へ留まり、没後に晴信は寺を二分して甲府へ移転する。晴信は臨済宗妙心寺派と強い関係を持ち、後に臨済宗諸寺院である甲府五山を定めた際には第一位としている。 創建年代は、『甲斐国志』によれば信玄生母が死去した天文21年で、『甲斐国社記・寺記』によれば永禄年間(1558年 - 1570年)であるとする。なお、旧地に残されたもう一つの寺は古長禅寺として現存している。 『国志』によれば、信濃安国寺から本尊の阿弥陀像が移されたが、武田氏滅亡に際した兵火により焼失したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長禅寺 (甲府市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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